今日は、市ヶ谷にある法政大学での打ち合わせ。
ここ数日の寒の戻りでお堀の桜並木は5分咲きくらいだったけれども、ちらほらと花見の人たちがいた。お年寄りの方から子どもまで、桜を愛でている様子はとても平和で微笑ましい光景だった。
のんびりとした春の光景をビルから眺めていると、向こうに防衛庁が見えた。そこにはニュースで報道された迎撃ミサイルが配備されている。ありふれた春の日常の側に、ミサイルがあるんだ・・。たった1発でもここにミサイルが打ち込まれたら、こんな平和な、ごく当たり前だと思ってた光景はなくなってしまうのだ・・・。ミサイルなどとても自分の生活に遠いものだと思っていた。にもかかわらず、いつでも発射できるミサイルが都会のど真ん中にあることに、なんとも言えない気分になった。
被害者支援をやるようになってから、頭の中で様々なシュミレーションをするようになっている。
「ここでこういうことが起きたら、自分はどう動くか」
これまでは事件、事故、そして災害でのシュミレーションだった。
洋書を読んでいても、「テロや戦争」に関する章は目を通していなかった。どこかで自分とは関係のないものだと思っていたのだと思う。
だけれども、今日、思った。
もしミサイルが落ちてきたら、心のケアってどうなるんだろう。
どう進めていけばいいのだろう・・・。
そして太平洋戦争の時に、その当時の人たちはどのように支えあったのだろうかと・・・。
日本は世界で唯一原爆が投下された国だ。そして集団自決、特攻隊・・・。多くの人が亡くなった。その中で、生き残った人たちはどういう思いで生きてきたのだろう。何を励みに、そのような状況の中でも生きようとしたのだろう。何が支えになったのだろう・・・。
現在の日本の臨床界において、かつての戦争の教訓が活かされているのだろうか・・・なので、戦争を生き抜き、臨床を生業とした先輩たちに、「どうしたらよいか」と話が聞きたいと思った。
一番良いのは、戦争もテロもなくなることだ。災害は自然の力で引き起こされるものだから最小限のところしか防げない。けれど、戦争やテロは人間のすることだから防げるところが大きい。
ただ万が一起きたら・・・そんなシュミレーションを初めて考えた。
桜並木の平和な光景を見ながら、「テロや戦争が起きたらどうしたらいいのか」と考えた今日は、なんだかとても複雑で、悲しい気持ちになった。