特別な支援

学会シーズンに入ってきました。

あさってから、APAに出席するためにトロントに行ってきます。AMEの時に比べて緊張はだんだんと少なくなってきていますが、また言いたいことが伝えられない欲求不満をたくさん味わってくるのでしょう・・・(苦笑)。今回の発表は、四川大地震の第一次派遣の支援内容についてとその評価に関してです。

APAから、今日プログラムが届きました(本当にぎりぎりです笑)。電話帳です。これでプログラムです。抄録ではありません。本当に巨大な学会です。

今回の学会で、ある先生と会えたらいいなと思っていました。以前、CONSULTATIONに関するレクチャーを受けに、某州立大学のワークショップを受講しました。そのワークショップには、院生や現場の教師向けのものでした。私は、ヒアリングも十分とは言えないので、そのワークショップに参加するまでに、その先生の本をすみからすみまで予習しました。少しでも内容が頭に入っていれば、多少聞き取れなくてもどうにかなると考えたからです。アメリカまで行くのですから、もう必死でした。そして、少しでも学んだことを、現場の先生方とのやりとり、そして子どもたちの支援に結び付けたいという強い思いがありました。

噂には聞いていましたが、アメリカ東部は話す速度が速く、「え?」と思っている間にどんどん話が進んでしまいます。わからないまま進むこともたびたびでした。レクチャーが終わってから、先生に質問をしたりして、わからないことを理解しようとしました。もう一度、予習復習をするために、まっすぐホテルに帰って、ずっと資料を訳したり、テキストを読んだりしていました。

けれど・・・

あるテーマでグループワークをした時でした。それぞれに意見を出し合うのですが、私は言いたいことが自由に言えないでいました。言いたい気持ちがあるのに、きちんと言えない。苦しいのと、情けないのとで、すごく気持ちが落ち込みました。

この時に頭に浮かんだことが、特別な支援を必要としている子どもたちは学校でこういう気分をいつも味わっているんだろうな・・・ということでした。「涙が出るほどいやだろうな」、「わからない自分のことが情けなく思うのだろうな・・・」、本当にいろいろな思いが駆け巡りました。

そして、なかなかうまくいえない私のことを、笑っている参加者がいました(現場の先生だったのが悲しいのですが・・・)。もう涙が出るような思いでした。「日本語だったら、もっと言えるんだぞ!くそーー!!(涙)」。何回か、失笑のような笑いに耐えていた時に、ワークショップの先生がそれに気づいてこう言ってくれたのです。

「何を笑っているんだ?!朋子は遠い日本から、これを学びに来たんだぞ。子どもたちのためにここまで学びに来たんだぞ。それを笑うとは何事だ?!」と、厳しい口調で笑っている参加者に向かって注意をしました。もちろん、その後、何もされることはありませんでした。

そのときに実感しました。

「あ~先生の一言でこんなに救われるんだ」と・・・。

本当に、心からうれしかった一言でした。

その先生は、最後、私が空港に向かいやすいようにと、空港行きの電車が走っている駅まで、わざわざ1時間もかけて送ってくれました。その頃、ちょうど私は博士号を取りたいと思っていたので、「こちらの大学に来てPhDを取れば?」と言ってくれましたが、「私は日本の子どもたちが大好きなのです。日本の子どもたちのために、いつも、その支援を考えていたいんです」と話したところ、「その気持ち、わかるよ」と言ってくれました。

今でもあの時のことをはっきりと覚えています。自分が慣れない環境、ハンディのある環境におくことによって、はじめて「特別な支援とは何ぞや」と感じた体験でした。誰かを支えさせていただく時に、その体験を忘れないようにしています。

今回のAPAで、その先生に会えるかな・・・と思っていました。昨年、参加されていたのですが、あいにく会えなかったからです。その先生に久しぶりに会って、「あの時は心からうれしかった。感謝しています」とお伝えしたいのです。

けれど、プログラムを見てみたらその先生の名前はなく・・・(泣)

プログラムを見て、とってもがっかりしました

その先生と会えるまで、これからもAPAで発表し続けなくてはいけないですね

「特別な支援」への2件のフィードバック

  1. うん、良い話を読ませてもらいました。9月トレーニングに行くのに勇気が出たよ。臆する事なく私もがんばるので、お互い良い機会、経験になるよう全力を尽くそう!

  2. >minoさん
    こちらの方までコメントありがとう!(笑)勉強の成果?を出して、お互いがんばろう!

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