ルミナリエに思いを込めて

先日、神戸新聞社の記者の方から電話があった。「なんだろう」と思いつつ電話に出ると、かつて勤務していた大学の教え子Aくんのことで取材をしたいとのことだった。Aくんは、阪神淡路大震災で母親を失っている。その記者の方は、震災直後の頃からずっとそのAくんのことを追っているというのだ。そして、震災当時の子どもたちがどのように青年になっていったかを追った記事を書いていて、Aくんを取材しているところだという。少し前に、その記者の方が久しぶりにAくんに会っていろいろと話をしている時に、私のことが話に出てきたとおっしゃっていた。そして、Aくんからは面と向かって言われたことはないのだけれど(笑)、私のことを「とても信頼している」と記者さんに話していたそうなのである。ポレポレクラブのメンバー、そしてAくんとの間には、静かにそして揺るがない絆があるのは私も感じているところなので、その言葉を聞いてとてもうれしかった。

そして記者さんとAくんのことをいろいろと話をした(もちろんAくんのOKはもらった上で)。ある程度はAくんから当時の話は聞いてはいたものの、細かいことがもっとよくわかった。震災直後の様子、亡くなった母親のこと・・・まだまだ知らないAくんの苦しみがあったのだな・・・と思いを馳せた。反対に、記者の方も大学時代のAくんの様子を聞いて、意外なところ、そして納得できて笑ってしまうところ、いろいろあったようだった。

電話を切ってからも、しばらく思いめぐらせた。地震という突然の出来事で、さっきまで元気だった母親を失うということ・・・。そして、ポレポレクラブで子どもたちを支援する活動が、Aくんにとっても「癒しの場」になったのかな・・・と改めてそう思った・・・。大切な人を失った悲しみに寄り添うこと・・・それは、簡単なことではないと感じている。せめて先生として何かできないかと思い、神戸に行った時には、Aくんと待ち合わせをして一緒にお墓参りに行っている。喪失に寄り添うこと・・・を、私なりに、そして私らしい方法を模索している。

さて、今年は視覚障がいのある方が阪神淡路大震災の時にどのような状況におかれ、どのようなサポートを受けたか、そして災害時にどのような体制を整えればよいかについて浜松視覚特別支援学校と一緒に研究をしている。先日も、神戸で盲老人ホームにお勤めのNさん、NPOのMさんにお会いしてお話を伺ってきた。目が見えないというハンディは、日常でも移動や情報入手に困難があるが、震災の時にはさらにそれが顕著だったようであった。避難所に避難してもトイレがどこにあるのかも、使い方もわからず、様々なことに困難を極めたようであった。周りの人たちも余裕がないので、手助けを求めることさえも躊躇したようだった。Nさんは自ら視覚のハンディがあるにもかかわらず、支援者としてもサポートされていた。お話を伺いながら、すごい人がいるものだなと心からそう思った。これらの一連の研究を通して、視覚障がいのある方の避難、そしてケアについて、最終的に提言していきたいと考えている。

今年は、四川への派遣、冨永先生や高橋先生といった阪神淡路大地震を経験した先生方と共に仕事をさせていただいたり、視覚障がいの方のリサーチだったりと、災害に関連した多くの仕事をさせて頂いた。 ちょうど先週、神戸に行った時に、神戸ルミナリエが開催されていたので、数年ぶりに見に行った。ルミナリエの光を見ながら、今年一年のことをいろいろと思いだした。

Aくんのお母さんをはじめ、神戸そして四川の地震で命を落とした方の魂がどうか安らかに眠れるよう、そして被災地で出会った子どもたちが無事で元気でいられるよう、光と鐘の音に込めて祈ってきた。

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「ルミナリエに思いを込めて」への2件のフィードバック

  1. という想いの後の献杯だったのですね。
    ○ッ○○○扱いして、たいへん失礼しました(笑)。冬はもう死んでしまった人のことをよく思い出します。ブログのデザインが雪の夕暮れになりましたね。

  2. >モス3さん
    先日は失礼いたしました(笑)。そうです、こういう思いの後のほっとした時間だったのですよ(笑)。どうかご容赦ください(笑)。
    秋から冬はいろいろと物思いにふけりますね。雪も「水」だから、結構好きなのです。雪をぼーっと見ているのも結構好きなんです。静岡では難しいんですけど・・(苦笑)

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