今日は、阪神淡路大震災が起きた日。もう14年前になる。
この日をきっかけに、私はこの道に入ってきた。
だから、1月17日が来るたびに、身の引き締まる思いになる。
私は20歳の時に、中学校からの友人をガンで亡くした。違う高校に入り、久しぶりに会ったときに、「指の皮膚に変なできものができちゃってさ・・・」と話していたのがガンだった。ガンはどんどん友人を蝕んでいき、息を引き取る前に病室に行った時には、涙をこらえるのが精一杯の姿をしていた。それでも友人は、「夏になったら海に行こうね。おいしいゼリーも食べたいな」と私に話していた。でも願いもむなしく、短い命を全うした。友人の死は、私に強烈に「人の役に立ちたい」という思いをもたせた。病に倒れた友人のために何もできなかったというくやしさがあったから。なので、農学部であったけれども基礎医学の研究室に入り、「病気で苦しむ人たちのために薬を作りたい」と思い、製薬会社の研究所に就職した。
研究所の仕事はそこそこやりがいもあった。けれども、毎日試験管を見る日々は、「人の役に立ちたい」という思いとうまくつながっている感じがしなかった。けれども同僚や上司はいい人たちが多かったので、なんとなく毎日を楽しく過ごしていた。
そして、1995年1月17日・・・。
朝の7時のニュースを見たときに、神戸の映像が飛び込んできた。
「信じられない・・・・」・・・・・それ以上、言葉が出ず、自然と涙が出てきた・・・。
そして、今でも不思議な感覚として残っているのだけれど、私の心の中のとても奥深いところから何か突き上げるものがあふれ出てきた。突き動かされたと言ってもいいくらい・・・。
「神戸に行こう・・・」 ・・・・素直にそう思った。
有給もたくさんあったし、プロジェクトもひと段落したので同僚にも迷惑をかけないと判断したからだ。けれども上司は二次被害を考え、神戸に行くことを了承してはくれなかった。行けないことが悔しくて悔しくて、でもどうにもできない・・・。でもそこで、あきらめなかった。神戸にいけなくてもできる支援はある。同僚に声をかけて、カンパを集めて、救援物資を送る活動を始めた。同期や先輩たちも協力してくれた。とてもうれしかった。
ひとしきり活動をした後、思った。
「やっぱり人を支える仕事がしたい」と・・・・・・。
そしていろいろな縁に導かれるように、筑波大学大学院のことを知った。もともとは理系なので、教育や心理学関連の単位すらとっていないにもかかわらず、「人を支える仕事がしたい」「一から勉強がしたい」という思いで、会社が終わってから独学で必死に勉強をした。
そして、敬愛する先生に恵まれ、様々な縁で多くの人に出会った。
そして、阪神淡路大震災でできなかった被災地での活動・・・中越地震、そして四川大地震の被災地で活動する機会も頂けた・・・。
あらゆる縁が、あの時から今に続いている・・・。
だから1月17日なると、自分の原点をふと思い出す。
人を支える仕事のプロとして、ずっとずっと精進し続けよう・・・
そして、「苦」の中で必死にもがく人のそばで、あきらめずに、人の真ん中にある可能性を信じて、ずっと寄り添っていこう・・・
いつもこの日は、そんなふうに思う・・・。
PS 私がこの道に入るまでの過程は、実は本になっています。当時大学院生だった私は、海仲間の友人に「会社を辞めて頑張っている人を探している作家さんがいるんだけど、取材を受けてくれない?」と頼まれて、取材を受けたものが本になっています。もう絶版ですが・・・。10人の女性が登場してきますが、私は本名ではなく仮名を使っています(笑)。あと文中で2か所だけ事実と違うところがあります(笑)。
「私が会社を辞めた理由(わけ」 中山み登り著