実家があるI県に戻ると、静岡では聞いたことがない音がしてくる。
ぼぼぼぼぼぼ!!!
ぶるるん、ぶるるん!!!!!!!!
ぱらりぱらりぱらり!!!ぶうううううううううううううううん!!
そう・・・・暴走族だ。
I県は今でも暴走族がいる県としてときどきテレビにも取り上げられるけれども、その音を聞いて、「こんな時代でも、まだがんばってるんだ・・・」と思った。
そこでふと調べてみた、
警察によると、暴走族は、大きく分けて「共同危険型」と「違法競走型」に分けられる。「共同危険型」がいわゆる暴走族で、「違法競争型」はいわゆる走り屋が該当する。共同危険型は集団を作って暴走する。その集団は先輩後輩というヒエラルキーがしっかりあり、その中のルールに対しては厳しい掟がある。
ウキペディアに面白い記述を見つけた。
「共同危険型の盛衰」
1980年前後には共同危険型暴走族は最盛期を迎えた。警察庁の1980年11月調査では、全国で754グループ、38,902名の暴走族が確認された。これは1980年6月に比べて10.8%増の数字である(女性暴走族は948名から1,426名に増加)。低年齢化も進み、15歳以下の構成員は、1976年当時の47名から1,208名へと約25倍になっていた。1981年にもグループ数は更に増加し、835グループが確認され、8,255名が検挙された(前年比82.5%増)。
彼らは、パンチパーマに剃り込みを入れた髪型に、特攻服に刺繍などで飾り付けをしたものを着て、自分たちのことを「ツッパリ」という語で呼ぶようになり、徒党を組んで集会などを行った。この後、「ツッパリ」は暴走族以外にも拡大して、次第に不良行為を行う事で自己を顕示する少年少女らのスタイルとして定着するようになる。ツッパリファッションを身にまとった「リーゼントロック」[6]音楽バンドが、当時の管理教育に反発する少年層の間で大流行し、ツッパリファッションを子猫に着せた「なめ猫グッズ」が発売されたのもこの時期である。
しかし暴走族文化の拡大とともに、本来は「10代の若者が、学校や社会に反発していることを示す行動様式」とされた共同危険型暴走族は、次第にOBを含めた上下関係や既存の暴力団との繋がりを持ち、グループ内の制約遵守や規律を守らない構成員に対する制裁などの掟に、構成員はがんじがらめとなってきた。若者を取り巻く環境の変化に伴って、この厳しい伝統的拘束を嫌う傾向が青少年層に強く見られるようになる。
また、こうした主従関係の維持や、敵対組織に対抗する用意などには、強力なリーダーシップを持つ幹部主導者を必要とするが、大きな責任を背負って組織を運営していくほどの能力と意欲を持つ者が減少し、地縁関係で結ばれる先輩後輩関係の希薄化、集団行動への忌避意識の高まりといった風潮の影響も受け、組織を編成して暴走行為を行うスタイルは成り立ちにくくなってくる。
・・・とある。
これを読んで、う~んと思った。
リーダシップを取って大きな組織を運営したり、集団で何かをするには対人関係の力がなくては成り立ちにくい。共同危険型が衰退しているということは、やはり対人関係の希薄さやそれを維持するためのスキルが低下しているという現れの一つとして考えられるのだろう。
そういう意味ではまだ我が故郷I県は、子どもたちの力が残されているのかなとふと思った(ちなみに暴走行為を容認しているわけではありません。人に迷惑をかけている行為は許されることではありません)。
ちなみに子どもの頃、私は「なめ猫」グッツを買いました(年代がバレる?!笑)。